“応用脳科学”の動向

応用脳科学とは

脳は、人間が人間らしく生きるための根幹をなす「心」の基盤です。それゆえ、古来より脳は科学的興味・社会的興味を集めてきました。
脳科学研究は、近年、特に「脳の可視化」を実現する各種計測・情報技術の発達の恩恵を受け飛躍的な進展を見せてきました。
そして、脳科学研究は、「心」の働きを解明する最先端の科学として社会的にも一層強く認識され、21世紀は「脳の世紀」であると言われるまでに至っています。
さらに、急速に進化しているAIを活用し、私たち人間の認知・行動・記憶・思考・情動・意志といった「心」の働きに関する科学的知見は加速度的に蓄積されつつあります。
これらの知見を基盤にし、経済学・社会学・生理学・認知心理学等の様々な研究領域と融合した「応用脳科学研究」とその事業活用を推進する試みが、分野を問わず世界規模で活発化しています。

応用脳科学コンソーシアムでは、「応用脳科学研究」を以下のように定義します。

脳に関する様々な研究成果や知見を中心に、神経科学、心理学、生理学、認知科学、行動科学、社会学、経済学、工学、情報学、コンピュータサイエンス(人工知能等)、ロボティクス、教育学、経営学(マーケティング、人材育成、組織論等)など、異なる研究分野を融合して、出口として、人間を理解し、社会、そして産業(医療・福祉・教育を含む)の発展への貢献をめざす研究

進化を続ける脳科学研究と産業の世界動向

昨今のAI、IoT、ビッグデータ解析などの情報技術の急速な進化に伴い、欧米を中心に応用脳科学は国家間の研究開発競争の一大テーマとして急成長しています。

このような大規模研究と並行して、欧米のビジネススクールでは、脳科学・認知科学・行動科学の応用をカリキュラムに導入したり、ビジネス応用を研究している脳科学研究者が在籍したりしています。

*2019年MBAランキング出典:https://www.topuniversities.com/university-rankings/mba-rankings/global/2019

欧米ではビジネススクールが脳科学をテーマに活動しているくらいですから、当然、私たちが名前を知っている多くのグローバル企業においても脳科学研究は行われています。
少なくとも日本において応用脳科学コンソーシアムが任意団体として活動を開始した2010年、今から10年以上前にはそのような研究活動はかなり行われていたと推測されます。
その分野は、飲料・食品、日用品、化粧品、小売・サービスなど、私たちの日常生活に深くかかわっている商品の製造事業者はもちろんのこと、輸送機器、化学、電気・電子、建築、など様々な業種に広がっています。
また、一つの企業の中でも、R&D、マーケティング、人材・組織マネジメントなど多岐にわたっており、新たな製品開発、サービス開発、事業開発、組織・能力改善等にその成果が活用されていると考えられます。

脳科学研究と人工知能(AI)研究の融合が牽引するイノベーション

このようなグローバルの動きの中でも、これから極めて重要になるのは、脳科学研究と人工知能(AI)開発の融合です。
世界一の囲碁棋士を打ち負かした初めての人工知能で有名なαGOを開発したディープマインド社を率いるデミス・ハサビス氏は、AIを研究開発するためにUCL(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)で神経科学の博士号を取得したと言われています。
彼とその仲間たちが、2017年に著名な科学雑誌である「Neuron」に発表した「Neuroscience-Inspired Artificial Intelligence(脳科学に触発された人工知能)」によれば、これからは人間の注意制御、想像力、計画性などの能力をAIで実現するために脳科学の知見が重要であることを指摘しています。
今、脳科学の進化が人工知能開発を加速し、進化した人工知能によって脳のモデル化・シミュレーションが実現する、さらにその成果により人工知能が進化するというスパイラルアップが始まっています。
この研究開発分野の進化は私たちの想像を超えるスピードで始まっています。次代のイノベーションを誘発する大きな鍵を握っているといえるでしょう。

出典:「Neuroscience-Inspired Artificial Intelligence(脳科学に触発された人工知能)」(Neuron、デミスハサビス:ディープマインド社(Google傘下)、2017.7)を基に作成

ELSI(倫理的・法的・社会的課題)の重要性

ELSIとは、Ethical(倫理的)、Legal(法的)、 Social(社会的)、Issue(課題)の頭文字であり、日本語では、文字通り、倫理的・法的・社会的な課題と訳されています。
急速に進化している脳科学研究と人工知能開発、そしてその融合が持つ潜在的パワーを裏づけるかのように、欧州を中心に、年々、脳科学、AI、ニューロテクノロジー等にかかわるELSIに関する取り組み、規制強化の動きが活発化しています。

例えば、OECDでは、“Neuro Rights(神経権利、脳の権利)”といわれる、人間の脳と心を守るための新しい人権のカテゴリーについて、すでに議論がされています(チリでは“Neuro Rights”が憲法化されているといわれています)。
これは、脳科学、AIに関しては、その研究開発の速度が非常に速いということ、そして、それゆえ、研究開発と同時に、まさに「転ばぬ先の杖」としてELSIに対して取り組んでいく必要があるということを示唆しています。